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元・中日ドラゴンズ投手、野球解説者
山本昌氏 特別インタビュー「努力の継続からチャンスが生まれる!」

元・中日ドラゴンズ投手、野球解説者 山本昌氏 特別インタビュー「努力の継続がチャンスを掴む!」

――本日はよろしくお願いいたします。
山本昌氏(以下 山本昌):よろしくお願いします。

■幼い頃は野球が”苦手”!?
「レジェンド」山本昌の意外な幼少期と、野球人生3つのキーワード

――山本さんはプロ野球選手としては異例の50歳まで現役を続けてらっしゃいました。やはり幼少期から野球に親しまれていたのですか?
山本昌:はい。幼い頃は野球が下手で、中学まではずっと補欠でした。6年生のころは公式戦に出たこともありませんでした。

山本昌特別インタビュー01――とても「レジェンド」山本昌の幼少期とは思えませんね!
山本昌:これを言うと皆さん驚かれます(笑) 初めてチームに入ったのは小学3年生のときだったのですが、そのチームのエースが本当にすごい選手でした。彼とは中学でも一緒に野球をしていましたが、私が球拾いをする隣で、上級生に混じってベンチ入りしていたんですよ。3年生も押しのけて。私ではとても敵わない相手でしたね。

――そのような状況から、どうやってプロチームに入るまでに至ったのですか?
山本昌:今振り返ってみると、私の野球人生は3つのキーワードで表せるんじゃないかなと思います。1つ目は「努力の継続」。2つ目は「恩師との出会い」。そして3つ目は「どん底でのチャンス」です。

――プロ野球選手として32年間現役を続けてきた山本さんには、「努力の継続」という言葉がしっくりきますね。
山本昌:ありがとうございます。中学3年間球拾いをしていましたが、まったく試合に備えていなかったわけではありません。例えば中学2年生の春ふと思い立って、通常の練習の他に4kmのジョギングと寝る前の素振り100本を毎日するようにしました。それでもライバルとの差は縮まることは無く、結局補欠のまま最後の試合を迎えたのですが、最初の「どん底でのチャンス」はここで訪れました。私ではとても敵わないと思っていたエースピッチャーが、試合直前に怪我をしてしまい登板できなくなってしまったんです。その代わりに、私がマウンドに上がることになりました。

――チームの要の代わりというと、大きなプレッシャーがあったのではないかと思います。
山本昌:もちろんありました。中学最後の大会で、初めての背番号1番ですから、緊張しないはずがありません。それでもなんとか市内大会と地区大会を勝ち抜き、県大会に出場できました。県大会では7勝を挙げたのですが、もしこれが高校野球だったら甲子園に出場できているレベルの回数ですね。大会を終えて学校に登校してみると、担任の先生が「おい、野球の強い高校から進学の話が来てるぞ」と言うんです。驚きました。

――まさに転機だったのですね。
山本昌:そうですね。同級生が怪我をしてしまったこと自体は残念な出来事でしたが、なんとかして試合に出たいと準備をしていたからこそ、いざ目の前に機会が訪れたときに捕まえることができたんです。もし私が彼には勝てないからと諦め、「努力の継続」を怠っていたとしたら、決してこのチャンスを掴むことはできなかったでしょうね。

※写真は佐鳴予備校校舎訪問時のものです。

 

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