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ホーム > おすすめコンテンツ > 偉人伝ストーリー > 「彼、取って代わるべし」
項羽(前232〜前202)
紀元前221年、秦により六国(楚・斉・燕・趙・魏・韓)は滅ぼされ、中国大陸が統一された。国々の王制や貴族制に代って皇帝を頂点とする中央集権国家が成立し、経済・軍事・行政の一切を厳しい法律が支配する世となった。まさに「王たちの時代は去り、すべてが秦になった」のである。地上の万物を所有し、全てを意のままに動かすことのできる絶対権力者となった秦の始皇帝は、自らの偉大さを天下に誇示するために各地を巡幸した。国民に皇帝自身の顔を見せてまわったのである。華麗に武装した何十万という軍隊が秦帝国の黒の族旗を無数になびかせ、兵器を光らせて歩く巡幸は、それは豪壮なものであったという。 始皇帝の巡幸が華南の会稽に至った時のことである。それを見物していた群衆の中に、「彼、取って代わるべし」すなわち「あいつに代わって天下を取ってやるぞ」と臆面もなく言い放った若者がいた。うかつにものの言える時代ではない。同行していた叔父が慌ててその口をふさぎ、「乱暴なことを言うな、一家皆殺しにされるぞ」と彼を戒めた。この若者こそ、のちに楚の覇王としてその名を天に轟かせた項羽その人であった。この言葉は彼の内から溢れ出る覇気を凝縮したものとして後世まで伝えられている。項羽は叔父の項梁の下で養育された。妻子をもたない項梁は、このひとかどならぬ「気」と「才」を持つ甥をことのほか可愛がり、項羽は項梁の下で猛将に成長していくのだった。 武力で統一を果たしたとはいえ、奏の政治はだれもが歓迎するものではなかった。ことに最下層の民の暮らしぶりは悲惨を極めている。巨大な阿房宮や陵墓の工事にかり出され、長期の労役や軍役で生活など成り立たない。中国全土には絶望と憎悪が蓄積し、一触即発の状態にあったのである。紀元前209年、陳勝が反乱を起こすと民衆を組織した反旗が各地に翻り、戦国の動乱時代に突入する。秦を打倒すべく項梁とともに楚軍を挙げたのは、項羽若冠24歳のときである。項羽は挙兵半年にして反乱軍の最大勢力にのしあがった。項羽は暴虎のような気迫をもっていた。自ら剣を揚げて猛然と先頭を疾る。その姿はまさに飢えた虎が獲物に襲いかかるようであった。戦えば百戦百勝、比類なき強さで敵を戦慄させたのである。 項羽を滅ぼし天下を統一した劉邦をして、「とても項羽にはかなわない、誰か俺に代わってくれ」と言わしめ、恐怖の淵に叩き込んでいる。深い人間洞察により空前の史書を残した稀代の歴史家・司馬遷は、「史記」項羽本紀においてその足跡を「史上未曾有の壮事」として驚嘆するとともに称えている。 偉大な先人は二千数百年の時を駆け、時代と場所を異にして生きる我々を今もって嵐の如く撃つ。『始皇帝の座を射る』という大志をはっきりと自己の内に立て、満ち溢れる気概で志を貫いた項羽のあまりに激しい生き様は、我々を感動させずにはおかないのである。己のカのみが頼りであるという点においては、項羽の生きた戦国動乱の世も現代も何ら変るところがないであろう。それはまた、己次第で如何なる道も拓けるということであり、出発点は志である。さらに、それを果たさんとする気概、勇気。それを貫いた先には、輝ける未来が確かに在る。 ※1「巡幸」 天皇が各地をまわること。ここでは始皇帝が中国各地をまわることを指す。
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