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ホーム >  校舎案内静岡県御殿場駅前校(小中学部) > 今泉先生の歴史エピソード

今泉先生の歴史エピソード

武蔵坊弁慶 〜生まれながらの大男〜

更新日:2008年11月20日

前回、紹介した源義経とともに源平合戦で忘れてはならない人物といえば義経の家来、 武蔵坊弁慶だね!大男で怪力の持ち主というイメージが強い弁慶だけど、伝説ではお母さんの胎内に18ヶ月間いて、(普通は10ヶ月だよね!)生まれたときには2・3歳児の体つきという超巨大児。おまけに髪は肩が隠れてしまうほど伸びていて、奥歯や前歯も生え揃っていたという…そんな弁慶に付けられた幼名が『鬼若』、義経は『牛若丸』と呼ばれていたことを考えると、生まれたときからの因縁だったのかもしれないね。
さて、弁慶という名前は色々な言葉に使われているね。例えば…

・ 家の中では強気で威張っているが、外ではおとなしい人のことを『内弁慶』

・ 家や仕事場ではおとなしいが、自分がお客さんの立場になると威張りだす人のことを『外弁慶』
※ ちなみに最近ではインターネット上で威張っている人を『ネット弁慶』というらしい…

・向こう脛(すね)のことを弁慶ほどの豪傑でもここを打てば涙を流すほど痛いとされることから『弁慶の泣き所』。「アキレス腱」とともに急所の代名詞としても使われているね
※また、中指の第一関節から先の部分も指の第一関節を伸ばしたまま第二関節だけを曲げると第一関節に力が入らなくなることから、「あの強力無双の弁慶ですら力を入れる事ができない泣き所」という意味で『弁慶の泣き所』と言うこともある。

・義経が最後を遂げるときに館の前でたくさんの敵と戦い、無数の矢を受けてたったまま死んでしまったことを『弁慶の立ち往生』というけど、これはメガネがトレードマークの小学生探偵が活躍する漫画ではトリックにも使われていたね!クナンくんじゃないからね(笑)

源義経 〜海に消えた伝説の剣〜

更新日:2008年10月22日

源義経といえば源平合戦で活躍した戦の天才として知られている人物だね! 幼い頃は牛若丸・遮那王(遮那は仏様の名前)という名だった。牛若丸と弁慶の五条大橋 での出会いは有名だね。

彼は戦いに機動力として馬を使用した日本で最初の人物だとも言われている。この頃の 馬は、今の馬に比べると短足で非力だったと考えられていたため、主に荷物の運搬に使われていた。移動手段としては牛を使うことが一般的だった。(平安時代に牛車が使われていたのはそのためだね!)貴族の生活では、そこまで急いで移動することが多くなかったのでゆっくり動く牛でも問題はなかったみたいだ。それに対して馬を使うことで戦いにスピードを取り入れ、先手を打つことで平氏を打ち破った義経はまさに天才の名にふさわしい人物だったんだね。

さて、そんな義経も源平の戦いで大きな失敗をしてしまう。兄の頼朝に命令されていた天皇の証『三種の神器』(正式な天皇の証とされる「仁」を表す「鏡」・「智」を表す「勾玉」・「勇」を表す「剣」のこと)の奪回に失敗してしまうんだ。
壇ノ浦の戦いで追い詰められた平氏のリーダーだった幼い安徳天皇は、おばあちゃんの二位尼と一緒に海に身を投げてしまう。
その時に一緒に『三種の神器』も海に沈んでしまうんだ。
さいわい「鏡」は箱と一緒に浮かんでいたので戻ったけど、勾玉と剣は沈んでしまう。頼朝は諦めずに全国から潜るのが得意な海女さんを集め、勾玉を回収するが、“草薙の剣”と呼ばれる剣は見つからなかった。三種の神器は今も熱田神宮に奉納されているんだけど、草薙の剣は新しく作ったものが奉納されているんだ。 社会科担当 今泉伸隆

世界最古の長編小説「源氏物語」の主人公も出る!? 藤原道長

更新日:2008年10月5日

今泉画伯!?
▲今回はなんと3人も書いてくれました★

藤原道長といえば、今から約100年前に摂関政治(天皇の代わりに政治をする摂政・関白となり実権を握る政治)で時の権力者となったことで有名な人物だね!実は、当時の絶対的な権力者となった道長が、同じ頃に書かれた世界最古の長編小説『源氏物語』の主人公「光源氏」のモデルになったのでは!?という話がある。

・・・というのも『源氏物語』の作者である紫式部は藤原道長の娘「彰子」に仕えていた。当然、藤原道長とも会っているんだね!光源氏といえば「絶世の美男子・天皇の子供で家柄も良い・頭もいい」というパーフェクトボーイ!藤原道長以外にもこの人がモデルなのでは・・・という話はたくさんあるけど、ひょっとしたら「光源氏」は当時の世を欲しいままにした藤原道長を紫式部が脚色して出来たのかもしれないね!

今年は「源氏物語」が創られて1000年という記念の年でもある。せっかくの読書の秋、古典の世界に触れてみるのも楽しいぞ! 社会担当 今泉伸隆

坂上田村麻呂 〜平安時代の大男伝説〜

更新日:2008年9月13日

桓武天皇の命を受け、征夷大将軍となり蝦夷(当時、天皇に従っていなかった人々やその人たちが住んでいた場所のこと)を平定した人物として知られている坂上田村麻呂は身長176cm、胸の厚さ36cmという、いかにも武将らしい人物だったらしい。
平安時代は日本人の身長が非常に低い時代だったと言われている。当時の成人男子の平均身長が160cm前後、ということを考えると、田村麻呂は非常に身長が高い人物だったようだね!(※ちなみに当時の女性の平均身長は140cm前後くらい。紫式部や清少納言も特に身長が高かったという記録はないのでそれくらいだったんだろうね。)
ところで彼には蝦夷と戦う武人というだけでなく、各地で様々な鬼や盗賊を退治したという伝説が数多く残っている。その伝説に由来して田村麻呂が建てたといわれている神社仏閣が日本各地に残っている。その中でも特に有名なのが京都の標高242メートルの清水山(音羽山)中腹に石垣を築いて建てられた「清水寺」だ!思い切って物事を決断することを「清水の舞台から飛び降りるつもりで」というが、この言葉は清水寺に由来する。
話は変わるけど、人気アニメの主人公で平安貴族の格好をしたプリン好きの男の子の苗字は「坂ノ上」。名前は坂上田村麻呂が由来らしいぞ。

今泉先生の歴史(秘)エピソード 鑑真 〜日本最古の彫刻モデル〜

更新日:2008年08月29日

鑑真
▲実は目が見えていた!?

前回紹介した聖武天皇の依頼を受け、はるばる唐から輸入された(!?)お坊さんとして有名な鑑真さんだね。 日本に仏教を広めるためにはお坊さんがたくさん必要となる。
しかし正式なお坊さんになるには戒律(決まりのようなもの)を授けてもらう必要がある。
しかし日本には戒律を授けられるような立派なお坊さんがいなかった。そこで鑑真さんが戒律を授ける受戒師として日本にやってきたわけだ。

彼は船に乗って日本にやってくる際になんと5回も失敗している。その間に彼は失明してしまうんだ。それでも諦めずに日本に渡ってきた鑑真さんはまさに“不屈の精神を持つ男”だったんだね。

そんな鑑真さんの姿を残そうと製作された唐招提寺に残る国宝「鑑真和上坐像」は日本で最も古い肖像彫刻といわれている。日本の彫刻モデル第1号としても活躍しているのだ。

ところで、最近では鑑真さんが日本で書いたとされた書物が発見されているため、鑑真さんは全く目が見えなかった訳ではないという話もある。
はてさて、真相はいかに・・・! 社会担当 今泉伸隆

今泉先生の歴史(秘)エピソード 〜聖武天皇 3度も都を移したさすらいの天皇〜

更新日:2008年08月27日

大仏と聖武天皇
▲大仏に頼っているのが伝わります(笑)

聖武天皇=仏教といっていいほど、彼と仏教は切っても切り離せない。 ところで、なぜ彼がそこまで仏教が好きになったのか!?

実は彼が即位した頃の日本は、疫病(伝染病のようなもの)やききんが起こったりと大変な時代だった。だから仏様に救ってもらおうというのが一般的な理由だけど、実は1番の原因は藤原広嗣という貴族が反乱を起こしたためだといわれている。仏教が流行っていたこの時代はお坊さんが政治に関わることも多かった。その事に不満を持った藤原広嗣が反乱を起こしたんだけど、この反乱にびっくりした聖武天皇は奈良の平城京を出ていく、反乱はすぐに鎮圧されたが、反乱が怖かった聖武天皇は恭仁京(京都)→紫香楽宮(滋賀)→難波宮(大阪)と都を転々と移す。

そんな中で「もうこんな怖い時代は、仏様の力で護ってもらうしかない!」と仏の力によって国を護ろうと考えたんだね!
奈良時代も現在も、困ったときには神(仏)頼みというのは変わらないみたいだ。 社会担当 今泉伸隆



今泉先生の歴史(秘)エピソード 〜飛鳥時代編〜

更新日:2008年08月19日

聖徳太子!?
▲今泉先生の書いた聖徳太子。そっくり!?

その1 聖徳太子 〜意外!!日本の書道の元祖〜
聖徳太子は、聖徳太子のお父さんの妹にあたる、日本で最初に女帝(女性の天皇)として即位した推古天皇の摂政(天皇が女性や子供だった時に仕事を手伝う人)として活躍した人物だね!
この人物には色々なエピソードがあるから、知っている人も多いんじゃないかな!?
実は、彼にはそのエピソードとともに、いろいろなアダ名がついているんだ。

例えば お母さんが馬小屋の前で産気づき、馬小屋で生まれた。→厩戸(うまやど)皇子
人々の請願を聞く機会があったとき、一斉に口を開いた請願者10人以上の話を、全て漏らさず理解し、的確な答えを返した。→豊聡耳(とよとみみ、とよさとみみ)
などは有名だね!

ところで、聖徳太子は政治だけではなく、文化の面でも色々と影響を与えた人物でもある。
仏教学者として、彼が書いたお経の注釈書『三経義疏』は現存する最古の肉筆書なんだ。
彼が書いた字が今のところ日本で発見されている書道作品の第1号ということになる。

また、仏教をあつく信仰していた聖徳太子は世界遺産の法隆寺の他にも、四天王寺・中宮寺を建てた。現在でもその中には数多くの仏像が安置されている。

『法隆寺夢殿久世観音像』という仏像は彼の等身大ということなので、聖徳太子の身長は179.9センチだということが分かっている。意外と長身だったんだね!

ちなみに、聖徳太子は超能力を持っていたという話もあり、未来を予知できたり、人の夢に自由に出入りできたなんて話もあるらしい!そんなエピソードから法隆寺にある『夢違観音像』は悪い夢を見たときに祈ると、いい夢に変えてくれるという言い伝えがある。悪夢にうなされたときは、是非お試しを(笑)       社会担当 今泉伸隆



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