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ノブレス・オブリージュ


サナルが目指す真の「エリート教育」とは。佐鳴予備校 理事長 佐藤イサク


指導者の資質

幕末から維新。日本という国が大きく揺れ動いたこの時代には、歴史に名を遺す重要な働きをした人物が、驚くほどたくさん生まれています。この人がいなければ歴史は変っていたと認識される人物が、本当に無数といっていいほどいるのです。
彼らに共通するゆるぎない信念。自分たちで国を変えよう、次代を背負って立とうという、スケールの大きな志。自分がやらなければ世の中は変わらない、自分たちで過ちを正さねばならないという、強烈な使命感。どうしてそのような人物たちが、あの時代に集中して生まれたのでしょう。もちろん、彼らの周りには私利私欲に目が眩み、保身と富を増やすことばかりに腐心する人間も大勢存在したはずです。しかし己のことはさておき、国の将来を憂い、危機を声高に叫び、命をかけて改革に取り組んだ彼らがいて、またその声に動かされた多数の人間がいて、実際に国は動きました。

彼らを突き動かした信念は、学び、知ることから生まれました。長く続いた鎖国の縛りが解かれ、外の世界と自国の実情を知って愕然としたエリートたち。松下村塾で吉田松陰に師事し薫陶を受けた高杉晋作や伊藤博文、山縣有朋、木戸孝允らの例を挙げるまでもありません。当時の特権階級ともいえる立場にいた人々が、新たな知識を得る機会を持ったことで問題意識を高め、「どうにかしなければ」という衝動に駆られて立ち上がったのです。互いに意見の食い違いがあり、刃を交える場面もあったにせよ、彼らのいずれもが国の未来を真剣に考えて活動したことは確かです。

世界は、そしてアジア、日本は、いま再び、激動の時代を迎えようとしています。安穏と過ぎ去る日々は過去のものとなり、常に何かが変わり、どこかで新たな何かが生まれています。あらゆるものの価値観が変わり、憲法改正が議論され、近隣諸国との関係が不安定になっています。誰かが、この社会を、この国を、世界を何とかしなければならない。知識と信念で人を率いることのできる、指導者の資質を備えたエリートの存在が、今こそ求められているのです。

真の「エリート」とは

「エリート」という言葉には、妬み、やっかみを含む負のニュアンスも感じられます。これは、近代のわが国でエリートたるべき人材が、本来の職務を全うせず、己の利益ばかり追求してきた例が多すぎたせいでしょう。「役得」という言葉に、理不尽な特権享受の在り様が見え隠れしているように思えます。

欧米に育まれた「Noblesse oblige(ノブレス・オブリージュ)」という観念をご存知でしょうか。フランスに起源する、貴族に課せられた義務を意味する言葉です。当時の貴族には多くの特権も与えられましたが、彼らには戦争となれば率先して最前線に立って命懸けで戦う義務も課せられました。「Noblesse oblige」は、「人の上に立ち権力を持つ者には、その代価として身を挺してでも果たすべき重責がある」と解釈されます。
この考え方はイギリスを通じて欧米各国に広まり、現代でも政財界のトップに立つ人間には修得が要求されるようです。
王族が軍に入隊したり、ボランティア活動に従事したりすることは当然とされていますし、政治家の選挙の際に過去の軍歴が取り沙汰されることが多いのも、その現れかもしれません。

アメリカ合衆国第35代大統領J・F・ケネディは、歴代大統領の中でも人気の高い人物です。人気の理由はさまざま挙げられますが、彼の従軍時代のエピソードは殊に有名です。太平洋戦争で彼が艇長を務めていた魚雷艇がソロモン沖海戦で撃沈されましたが、彼はまさに身を挺して部下を救助するという、指導者の規範として語り継がれる武勲をたてました。
アメリカ合衆国がキューバ危機という第三次世界大戦の恐怖に臨んだとき、彼の判断を国民が強く支持したのは、彼が「Noblesse oblige」を身に付けた真のエリートであると厚く信頼されていたからでしょう。そういう指導力のあるリーダーが、これからの日本には必要なのです。

エリートの育成こそ急務

近年わが国では、「個性尊重」「自由」「人権」「ゆとり」の美名の下に、本来行われるべき躾の教育、倫理観や義務履行に関する観念の指導が、ともすれば蔑ろにされる風潮が続いてきました。厳しく磨かれるべき若く幼い精神が、微温湯の中で弛緩するままに放置されていたのです。教育の現場で教師や学校の権威を低下させ、少し前までは考えられなかった問題を引き起こしているその根源が、ここにあるように思えてなりません。

思春期は自我が形成される時期であり、社会に出るための修行の時代でもあります。社会常識や躾を徹底する教育は、個人が成長する上で必要不可欠です。また権利と義務は不可分であり、義務を果たすことなく権利だけを求めるのが道理に悖る恥ずべき姿であることも、理解させねばなりません。
若い世代の教育は、すべての大人が腰を据えて取り組まねばならない重要な問題です。向上心に溢れた優秀な人材の意欲を削いだり、受験競争での勝ち残りのために学力以外の部分の成長を切り捨てられたりするような不完全な教育が放置されていてはなりません。優れた素養を持つ若者を、彼らを取り巻く社会全体で育む環境が用意されなければ、その社会自体の存続が危ぶまれます。

佐鳴予備校は、「学力を以って社会に貢献する人材の育成」を社是とし、単なる「学習塾」ではなく総合的な人格形成を行う「教育塾」たらんとしています。優れた指導者たり得る人材、すなわち「Noblesse oblige」の観念を備えた真のエリートの育成こそ、我々が果たさねばならない社会的責任に他ならないと考えています。