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稲沢駅前校(小中学部)

更新日:2008年06月27日
鎌倉時代の禅僧、曹洞宗の開祖道元に、ある時、弟子の一人が質問した。
「師よ、あなたはひたすら座禅を組めとおっしゃるが、もし重い病に陥った時、どうなさるのですか。」
「当然のこと、ただひたすら修行あるのみだ。」
「体が病に負け、滅びてしまってもですか。」
「然り。修行の道の半ばにして死すのに何の悔いが残ろうものか。」
我々の手許に残された道元の言葉は、類を見ない厳しさで刺し貫くように迫ってくるものばかりだ。
彼は人生とはすべてこれ修行であると考えていたようなところがあった。
中国に渡り、厳しい修行を重ねた末に帰国し、日本仏教界で最も厳格な教団を設立した彼を突き動かしていたのは何だったのだろうか。
先の文は、「無常迅速、生死事大といふなり。返す返すもこの道理を心に忘れずして、ただ、今日、この時ばかりと思うて、時を失わず、学道に心をいるべきなり」と続く。
一瞬一瞬の時の流れの何と早いことか。だからこそ、それを肝に銘じ、怠ることなく己の道を究めるべし。道元はそう言っている。
これは鎌倉時代の言葉であると同時に、現代の我々にも何一つ変わることのない真理として、響いてくる。
たっぷりあると思っていた時間が矢のように過ぎてしまった。何もせずに過ごしてしまった時間の大きさにぼう然とする。
こんな経験は我々の誰一人として例外なく持っているはずだ。道元は、そんな人間の弱さを十分に知り、その上で、限られた時間を充実して過ごすことを説いている。
座禅を組んで修行することの是非ではなく、人生に対する志の在り様として、噛み締めたい言葉である。
鎌倉時代は戦乱の続く激動の時代であった。人々の多くは現実のあまりのめまぐるしい変化、昨日栄えたものが今日は滅ぶ、と言った姿に「無常」を感じたと言う。
平家物語は全てを「春の夜の夢のごとし」と表現し、鴨長明は、人の命を「朝に死に、夕に生まれる習い、ただ水の泡にぞ似たりける」と記した。人の命の儚いこと、明日のことさえわからぬことが人を不安に陥れる。だが、道元の中においては、だからこそ今日この瞬間を充実させよう、意義のある人生にしよう、そんな熱烈な想いが渦を巻いていたようだ。
「正法眼蔵随聞記」(道元の言葉を弟子が記した書)にはこのようにある。
「玉は琢磨によりて器となり、人は練磨によりて仁となる。いずれの人ぞ初めより光りあらん。」
玉は磨いて輝く器となり、人間も練磨を重ね、はじめてすばらしい人物になる。
初めから光を放つものなどいない。人生が修行の道のりであることは決して単なる苦しみを意味するのではない。
おのれを光り輝かせる過程なのである。
目の前の困難から逃げることなく、今日を、そして明日を充実した日として過ごしてもらいたい。
更新日:2008年06月
「失敗は成功の母」とよく言われる。聞いた経験のある者も少なくないことだろう。
「じゃあ、失敗すればそれはすぐに成功につながるわけだ。」このような論法でゆけば、失敗などはないことになるが、本当にそうかというと、そう簡単に言い切れるものでもないようである。
公立高校合格発表の日。この日は我々佐鳴予備校の教師にとって、一年間を通してもっとも喜ばしく、そして心に重いものを残す一日である。各高校の発表会場では、跳び上がり、誰彼となく握手を交わし、全身から喜びの限りを表しているものがいる。特に、苦労を重ね、困難に耐えて闘ってきた者ほど、噴き出す感情の大きさに自分でも驚きつつ、歓声を上げていた。もちろん我々が誇るのは合格実績の数字だけではない。合格した生徒たちが、ゴールまでの道のりにおいて、何を考え、人間的にどう成長したかが最も重要なことなのだ。
「お前、そんなところで何をしてる?」
「…」
「まあ入ってこい。なんだ、泣いてるのか。よせ、みっともない。お前は男だろう。めそめそするな。」
彼の受験が無謀な要素を多分に含んだものだったのは、あらかじめわかっていた。内申が大幅に足りず、公立受験校は、第一志望、第二志望ともに危険な状態だった。願書の提出時に、こちらから、「本当にこのまま受けるつもりか。申し訳ないが本当のところをいうと、第二志望まで不合格になる可能性が大きいぞ。覚悟の上か?」と再度問いただした。彼はだめならば私立に進学するという。本人が納得の上でどうしてもというならば、第三者としては「わかった、しっかりやれ」と言うほかはない。
その結果、彼は半ばべそをかきながら、この場所、校舎の2階に立っていた。
「だめでした…」こちらの予想していた以上に打ちひしがれているようだった。おそらく試験までは「だめならだめで…」くらいに考えている部分があったのだろう。だが、現実の厳しさ、重さに叩きのめされたようだ。
「で、どうするんだ?」
「私立の高校に…」
「しっかりやり抜けるか?」
「はい…」
「そうか、では大丈夫だな。でもよく挑戦した。後悔はないな。次こそ勝者となれよ。」
そういって励ますべきだったかもしれないが、口をついて出た言葉は違っていた。
「悔しいだろう。もっともっと悔しがれ。言っておくが、ここで涙を流しても無駄だ。どっちにしてもお前は敗れた。それは誰のせいだ?内申をくれなかった先生のせいか?違うな。そんな風に言い訳をして成長した人間など見たことない。敗北の理由はお前自身の中にしかない。だから悔しがれ。だがな、本当に悔しかったら涙など流している場合か?違うだろう。今この時点でお前が何を言ってもそれは負け犬の遠吠えにすぎん。だから悔しいのをぐっとこらえろ。で、どうする?今すぐ、この瞬間からだ。家にすっ飛んで帰れ。机に向かえ。負けて悔いなし、と言う言葉もあるが、お前がそんなことを言ってられる場合とは到底思えない。さあ、男ならしっかりしろ。そして、いつまでも敗者のままでいるな。そう、今度、本当の結果を出して、高校での成績か、大学受験か、それとも別の何かか。そのときもう一度、おぼえていたらここに来てくれ。その時に泣くのを許してやる。どうだ、できるか。」
「できます。うん、やって見せます。」
「そうか、いい返事だ。あ、ごめん、ただな、本当のところを言うとだ、こんな言いにくい不合格の報告のためにわざわざ来てくれたのは、そりゃあうれしかったよ。でもな、個人の想いはともかく、人生は勝たねばならんぞ。そのためには一刻も早く、目覚め、立ち上がることだ。今度こそ本当に勝とうな。」
帰ってゆく姿を見ながら考えた。本当に一人ひとりに違った場面、ドラマがあるものだ。今日の合格発表で想いを遂げたもの、あるいは彼のように、ここからが出発となるだろうもの。まことに様々である。
成功と失敗は紙一重と言うが、どちらが幸せかは本当のところはわからないものだろう。だが、間違いのないことが一つある。それは卒業していった生徒たちにも、これから佐鳴予備校で奮闘してゆく君たちにも言えることである。
様々な場面において、人生の主役は自分自身でなければならないことだ。誰も君の代わりはつとめてくれない。いや、他人では代わりがつとまらない君でなければならない。だからこそ、苦難に立ち向かってもらいたい。そして倒れようともまた雄々しく立ち上がる心を持ってもらいたい。そうすれば、いつでも君自身が主役として輝き続けることができるだろう。我々教師一同はそう信じている。
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